価値の判断を他人に握らせないようにしたい

自分が良いと思ったら、世間がなんと言おうと良い

これが自分はできてないんですよね。

他人の評価・世間の評価

インターネットによって世間が身近になり、世間の評価が目に見えやすくなりました。それにより、自分が良いと思っても世間が良くないと思っているものがわかりやすくなってしまいました。

もちろん、それには良い面もあります。レビューによって買い物の失敗は減った気もします。

しかし、悪い面もありますよね。それが、自分が良いと思ったものが世間的には良くない評価を受けていた場合、自分の感性が間違っているのではないか、おかしいのではないか、という風に感じてしまう(感じやすくなってしまう)ことです。

Twitterで話題になっていた、「自分は面白かったと感じたのに、友達が面白くなかったと言った瞬間に、急に面白くないものに感じてしまった」というエッセイ漫画があります。詳しくはググってください。

これについて、自分はかなり共感していました。このことが示すのは、自分の感性や、価値判断を信じられていない、ということだと思っています。

そして、「自分の感性や価値判断を信じられていない」というのが、自分を不幸にしているんじゃないかと最近感じてきました。

「自分の感性や価値判断を信じられていない」、というのは、「自分の中に思想がない」、「自分に判断基準がない」、「自分に好みがない」ということなんじゃないかと思います。そうなると、他人や世間に振り回されて疲労します。たぶん。

例えばファッションについて、ファッションYouTuberが良いといったものしか買えなくなっていませんか?他人からの承認、他人からの評価だけを見て判断していませんか?そうすると、一生自分で判断できるようにならないんじゃないかなって。

もちろん、参考するのはいいと思うんです。が、完全に判断を丸投げするのはやりすぎだと思います。「この人がおすすめしてるから良いもののはず、買おう」では、自分が良いと思ってもその人が良いと言わなかった場合に買えなくなっちゃいます。そして、大袈裟に言えば、自信の喪失にもつながります。

自分は割とそうなりつつあるので、意識してこの状態を抜け出さないとなあと考えています。

判断基準を他人に握らせない

結果を出している人?有名な人?成功している人?って、自分の価値判断基準を持っているように思いませんか?例えば、ファッションにおいてオシャレとされる人は、他の人には一見良いと思われないような奇抜な服を着ていたりしますよね。それって、世間の価値判断基準にとらわれず、自分なりの基準を持っているからなんじゃないでしょうか?

世間で良いと言われていないものでも、自分で良い思ったら、それを貫けるだけの思想、信念がある人が、結果的に良いパフォーマンスを出すんじゃないかなと思います。

じゃあ、自分の揺るぎない思想・信念を持つにはどうすれば良いのかって話ですが、それは「経験することと勉強すること」だと思っています。

パッと自分が「良い」と感じた感覚がなぜなのか分析してみる。いくつかそれをやってみると抽象化できるようになり、他のものに適用できるようになる。それを繰り返すと最終的に、価値判断ができるようになる気がします。

もしくは、世間一般で良いとされているものはどういうものか、学んでみることで、自分の中にルールを持つことができるようになると思います。仕事みたいですね。

おわりに

記事を書いていると脱線しまくって、何が言いたいのかわからなくなってきます。ぶんしょうがへた。

自分が言いたかったのは

  • 判断を他人任せにしていると幸せになれない。自分なりの判断基準を持とう
  • 自分なりの判断基準を獲得するには、たくさんの経験と勉強が必要

ということです。自分の「好き」という感性を大切にしましょう。他人がなんて言おうと気にしないように。